アントレプレナーシップ・エデュケーター道場

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2010/02/22

『教えない教育』とは何か?・・・点塾・えにし屋の「教えない教育」考

未来デザイン考程を考案し、『マチダス』『集団創造化』『経営創造化』『コミュニティ創造化』のワークブックを世に出した「えにし屋」の清水義晴さん。その原点は、「点塾」にあり、その指導論の中核の一つをなすのが「教えない教育」であるという。以下では、『点塾文庫・指導者の条件 グループリーダー論』(博進堂出版部)、『志縁者座談会・こころざしをつなぐ「志縁者」になる』(特定非営利活動法人起業支援ネット)の内容、「経営品格塾」で行った清水義晴さんと私の問答を参考に、私なりのまとめをしてみたい。
点塾・えにし屋の「教えない教育」考
点塾は、㈱博進堂の人材育成拠点として、昭和59年(1984年)に新潟市内につくられた野外教育実修所である。ここでは、設立当初から「教えない教育」を基礎に置いていた。そのきっかけは、清水義晴さんが若くして会社(博進堂)を継承した際の指導者が、藤坂泰介さんであったことにある。藤坂さんは、ボーイスカウトの指導者の指導者だった方で、「今の教育は、教えるばっかりで、育てることがない。だから、『教えない教育』をやろうじゃないか。教育の本質は教えないことだ」と言ったという。最初は、清水義晴さんでも「教えない教育」が分からなかったのだそうだ。そこで、点塾を一緒につくり、年間200日くらい点塾に泊って研修したそうである。
7つの指導者の条件
清水義晴さんが研修した時の基本的な考え方が点塾文庫にまとめられている。『点塾文庫 指導者の条件 グループリーダー編』に、「7つの指導者の条件」が示されており、その中の一つに「教えない教育」に関わるだろうと思われる章がある。この本で示されている指導者の条件とは、次のとおりである。
(その1)人間的魅力
(その2)点となる。点をつくる。
(その3)プログラムづくりとシナリオづくり
(その4)教えない。規定しない。命令しない。
(その5)優れたゲームリーダーであること
(その6)優れたキャンプリーダーであること
(その7)特定のイデオロギーや宗教に偏向しないこと
職域集団・地域集団の教育に着目する理由
なお、この本で展開されている指導者の条件の「指導者」は、主として、「一定の目的と機構によって運営される職域集団と地域集団の指導者を典型」として考えられている。では、なぜ、職域集団や地域集団の教育を対象にしているのか?背景に、藤巻さんの教育に対する次のような認識がある(引用者がポイントと判断したもののみ)。以下の考えは、昭和61年(1986年)当時の状況を鑑みた上でのものである。
• 教育の普遍化が進むに伴い、国民の平等意識が教育基本法の理念を教育の画一化や硬直化へと変質させたことも事実であろう。
• 生徒の個性・能力・適性などの多様性に応じて、それぞれの長所を伸ばす本来の教育を「差別」と考え、教師の実践を消極化させる風潮が強くなった。
• 生徒の知識量を単一の基準と尺度で評価する方法が常識化し、個性や能力や適性を正当に評価する視点を失った。
• 表面化している「落ちこぼれ」や「学校ぎらい」あるいは「突っぱり」等の教育のひずみは、このような状況から生まれた不幸な現象だろう。
• 「教育の荒廃」と言っているが、わが国の教育をめぐる環境を見ると、家庭にも社会にも「荒廃」という言葉に該当する深刻な現象がみられる。すなわち、教育の危機に直面しているのは、学校教育だけではなく、家庭教育も社会教育も同様であることを直視すべきである。
• 学校教育以前の家庭における教育的役割が空白状態になっている。過度の放任主義や過保護を正当化し、人間の自己規制の基本を身に付ける躾と社会の基本的な生活習慣を形成する訓練を放棄していることが、家庭の荒廃の要因であると思う。
• 家庭教育不在の延長線上に、青少年の成長をゆがめる社会環境の荒廃が露出している。自由と権利には義務と責任が伴うという民主社会の最も基本的なルールが忘れられ、利己主義の横行、露骨な営利主義、刺激的な情報の氾濫など、現代の社会環境は、荒廃という言葉にふさわしい状況を露呈している。
• 学校教育の改革は、教育に従事して身分と生活を保障されている教職員の責任範囲。家庭教育の実践は、父母および兄姉の責任範囲。社会環境の粛正と社会教育の振興は、地域住民の連帯によって推進する分野。
• 今最も指導者を必要とするのは、善良で有能な市民を育成する社会教育の分野であり、なかんずく青少年を対象とする地域集団と職域集団であることを直感する。
指導者像
そして、青少年を対象とする地域集団や職域集団の「指導者」の指導者像を、次のように描いている。
• 指導とは「方向を示し、成員をその方向に導く」こと。「教えて、知識や技術を授ける」ことではない。
• 「指導する・される」という関係と、「教える・習う」という関係との区別をはっきり知ることが、指導者の最初の条件となる。
• 指導者の資格は、「目測」ができること。そのために、「複数の価値観になじみのある」こと。「目測」とは、マックス・ウェーバーが最も重要な特性として挙げたものであり、「周囲に次から次へと起こり続ける様々な現象と、自分が現に進めようとしている仕事との距離を常に正しく計測して、物事を客観的に眺められるようにしておく。自分を他人の目で外側から眺められるようにすること」である。国分康孝が言った「特定の価値観に固執しないこと」「指導者は複数の価値観になじみのあるのがよい」と同じこと。
また、青少年を対象とする地域集団や職域集団の指導者が登場するメカニズムを「成員の一人がその集団の中で醸成された信頼感によって指導者に選べれるというメカニズムが一般的なパターン」と描いている。さらに、集団指導者のリーダーシップは、「成員を意のままに動かす力量ではなく、集団の全員が一つの世界をつくるためのチームワークづくり、あるいは成員が相互に自己を充実しあうためのムードづくりを推進する誘導力であるといってよい」と考える。
教えない起業家教育の立場から見て
このように、清水さん、藤坂さんの「教えない教育」は、学校教育のそれとは異なる。しかしながら、私(鵜飼)が実践するアントレプレナーシップ教育(起業家教育)は、未来を描きビジネスを通じて実現する者である。起業家を目指す者達がアイデアや考案を実現して行くプロセスは、自ずと自立的に考え、自律的に動き、他者と連携し実現することが求められる。ゆえに、学校においてこの種の教育に関わる教職員は、地域集団や職域集団の指導者と同類であり、教えない教育が必要になる。
点塾での教えない教育概念
では、「指導者の条件(その4)教えない。規定しない。命令しない。」のポイントを確認しよう。もちろん、(その1)から(その7)が統合した状態が指導者であり、一つの要素のみを取り出し真似したところで、よき「教えない教育」が実践できるわけではない。この限界を理解したうえで、(その4)を見る。
• 「教えない」一から十まで教えることが、好奇心や考える意欲を抹消する結果を招いている。職域集団の指導者は、知的関心の触発に重点を置いて、その具体的方法を考えておくことが重要。例:ヒントを与えて考える意欲を触発する方法。知的ゲーム等で考える能力をトレーニングする方法。
• 「規定しない」個人の思考や行動を主観的な枠組みによって規制しないという意味。例:「いけない」「すべきである」を与えない。
• 「命令しない」命令がなければ動かない社員をつくらないために、「ただ道を示すだけ」でよい。
清水義晴さんとの問答を通して
2009年11月28日、29日の2日間、新潟の清水義晴とともに経営品格塾のメンバーで点塾において研修合宿を敢行した。この2日間の私の基本姿勢は「考えない」「クリーニング」であった。口を衝いて出る言葉を発言するという状態であった。研修の中で、清水義晴さんと問答する時間があった。道を示す言葉が清水さんより投げかけられ、間髪をいれず私より返す。不思議なもので、考えない姿勢でも、今まで意識して考えていなかった言葉が口から出た。
実は、この状態に、教えない教育の本質が隠されているのではないか。自ら気づいていく。自ら考えを排除しても、今まで気づいていないことがどんどん出てくる。おそらく場づくりの効果があってのことなのだが、適切な問が、きっかけとして極めて重要な経験をした。問は、未来からの引き、ウェーブ(波)のようなものかもしれない。教えない起業家教育の指導者として、「適切な問」を絶えず発することができる状態に居続ける準備が、私に求められていることであろう。
【参考文献】
『志縁者座談会 こころざしをつなぐ「志縁者」になる』(河田珪子・清水義晴・関戸美恵子、(特活)起業支援ネット、2009年)
『点塾文庫 指導者の条件 グループリーダー編』(藤坂泰介著、㈱博進堂出版部刊、1986年)

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